11月度 教区長法話
2019.11.01
11月に入り、すっかり秋めいた気候になりましたが、まだ寒暖の差が激しく体調管理には十分留意を払うところです。

9月、10月と台風の影響による被害が続き、罹災された方々に対しお見舞い申し上げます。

 私も、電力の台風災害復旧に赴く中で、自然環境に対する文明の力(りき)の脆さと、それに頼りすぎる我々の生活環境を改めて反省する思いがありました。私が社会人となり会社に入りたての昭和46年当時からすると、到底想像もできない世界になっています。生活環境がこのように便利になる一方で我々世代は、この目まぐるしい環境の変化に駆け足でついていくのが精いっぱいで、ややもすると取り残され観に苛まれます。しかし、反面利便さに頼りすぎるリスクも大きくなるという両刃の意を示唆しています。利便さになれ過ぎてしまわないように常にリスク管理を怠らない日々の生活を心掛けたいと思っています。
時代背景に関してもう一つ思うことがありました。

 少林寺拳法創始期の昭和22年当初の時代背景は、「喧嘩に強くなれる」「身を守れる」というところから「護身鍛錬」を一番に求める入門者が多くありました。

 しかし、現在の社会では当時のような「喧嘩に強くなる」といった風潮はほとんどなくなったと言っても過言ではありません。

 正当な理由があっても、相手に手を出して危害を与えた方が加害者と判断されがちな世の中ですから、護身術としての技の使い方も大変難儀な時代になっています。

 先月の教区長法話の中で、「師家及び管長より各道院、教区における教化育成活動の再点検を促されました。」というお話をお伝えいたしました。もう少し深堀しますと、易筋行のみの修練に特化しているのは、「行」としての本来のあり方ではなく「単なる武道」の修練に他なりません。
そもそも、「行(拳)」の中から自己のあり方を見つめ「法(禅)」を納めるところに金剛禅の醍醐味があり、自他共に成長するよろこびを共有するところにあります。その行の中から一見相反するものを「一如」としてとらえる「修行」を我々は易筋行という形で行っています。

 今日、平和な世の中になり以前の様な「喧嘩に強くなる」という目的から「技術を楽しむ」という「自他共楽」本来の目的に変わりつつあります。

 しかし、部外の人たちからすると、どうしても技術を見てしまうし、また、私たち教団も技術を「行」として見せることに力を注いでしまう事にも少し問題があるのかもしれません。

 本来ならば、金剛禅に入門し教義の入門編(見習いの期間)を十分にとり理解した次の段階(級拳士の期間)で初めて「行」としての技術を教授するという事から、見習いの期間は、鎮魂行と作務で自己を見つめ直し自分が変われると信じることから始まる「易筋行」の修行に入ることが大切ということになります。

 金剛禅創始72年を経た今日、科学や文化、文明の変遷と同時に我々の生活環境も大きく変わりました。

 宗教法人金剛禅総本山少林寺に伝承される「宗門の行」としての在り方と「拳禅一如」の調和の教えを本来の門信徒の修行体系とし、内修・外修ともに大事な門信徒の不変の修行と捉え「拳禅一如」から「禅拳一如」に変化したとしても決して不変の修行形態に変わりはないと信じています。




合掌再拝
2019年11月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)
2019.11.01 06:57 | 固定リンク | 教区長法話

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