10月度 教区長法話
2016.10.03
合掌 
 10月に入ると、あと今年も残り3ヶ月。短いと思うか、長いと思うか・・・、みなさまの思いも様々でしょう。
 私たち金剛禅門信徒にとって10月は、達磨祭の月でもあります。ネットやフェイスブックを検索してみると「少林寺拳法達磨祭」の文字が非常に多く現れてきます。それだけ積極的な活動がなされているという事だと思います。私の所属する千葉北部小教区に於いても10月1日(土)我孫子道院にて藤田竜太小教区長が導師を務め、厳かに挙行され厳粛な中にも温かみを感じさせる達磨祭でした。



 この達磨祭は、皆さんご存知のとおり達磨大師の命日とされている10月5日、またはその前後に挙行されています。祖師達磨大師を礼拝し、大師の命日にちなみその遺徳を偲ぶとともに、門信徒の一人一人がいっそう拳禅一如の修行に精進し、「達磨の子」として自己を確立し、真の強さとやさしさを備えた人間になることを、大師の前に誓うための儀式です。
みなさまの修練する道院での儀式行事の開催をお待ちしております。

さて、今月は達磨祭儀式に於いて導師が唱える「達磨祭祭司」の中で述べられているいくつかのことばに対して少し勉強してみたいと思います。

祭司の中では、「祖師先師の恩徳のお蔭でこの法門に入り、道を聴く者は日に日に多く、教えを受けて行じる者は、みなすぐれた効果を得、心やすらかにし、身体を養って、聖なる教えが偽りでなかったことを確信しています。しかし「不立文字」(ふりゅうもんじ):(書物によらず)、「直指人心」(じきしにんしん):(自己の心を見つめ)、「見性成仏」(けんしょうじょうぶつ):(自己の心に仏性を発見し)「行念一如」(ぎょうねんいちにょ):(信念を行動に現す)のこのすぐれた法は、奥深くて、簡単に理解することも、体得することも難しいものですが、ここに同門の同志が集って、励みあうことで、この道を伸ばし広めることに努めています。
どうか、祖師のお導きにより、この道がいつまでも絶えることなく、伝わり広まって、法門の子々孫々に至るまで、幸せであり続けますよう念じてやみません。」と唱えられています



これらの言葉は、日々の修行を積み重ねて自己の確立を向かう大乗禅たる達磨の禅風の特徴を現しています。また、金剛禅では「仏性」を「ダーマの分霊」と言い表しています。言い換えれば、ダーマに生かされながら自力の修行をしているという事なりますが、自他共楽で現されているとおり他者との援け合いがなければ宗門の行は成り立ちません。同門の同志が協力し合い、この達磨祭を機に更なる金剛禅運動の輪を広めていきたいと思います。

結手
2016年10月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)


2016.10.03 11:28 | 固定リンク | 教区長法話
9月度 教区長法話
2016.09.01
合掌 
暑さ寒さも彼岸まで・・・とはよく言ったものです。少しすると、夏の暑さが恋しくなる季節になってしまいます。人間は全くわがままな生き物ですね。
 今年の8月はいろいろな出来事がありました。第31回リオ・オリンピック競技大会はもちろんのこと、天皇陛下の生前退位のビデオ放映等もありましたがみなさまにはどの様に感じ取れたことでしょうか。
オリンピックに関しては、予想に反してメダルラッシュと騒がれています。私が非常に気になるのは、メダルの取れなかった選手に対する扱いです。8月は終戦記念日等との報道もあり、言い方が悪いかもしれませんが、特攻隊の生き残り的な心境とメダルに届かなかった選手の心境を重ね合わせてしまいます。
国の威信をかけた大会に挑み、全身全霊を傾けて戦い結果としてメダル取得に至らず帰国の途に就く選手のことを考えると、スポーツの在り方や、報道の仕方、そして私たちを含めたスポーツに対する考え方を今一度見直し、プレーヤー、観戦者共に本当に楽しみを享受できるスポーツにならなくてはいけないと思います。
昨今の報道は、メダルの数のみに重きを置き取れなかった選手や取れない競技は放映すらして貰えないのが現状です。開祖のよく言われていた言葉が脳裏に浮かびます。煩悩にまみれた俗人の中に没頭し俗人の眼で世の中を見たくない。私たちは金剛禅門信徒の眼で世の中を俯瞰したい。それによりまた違った感覚が観えてくる気がしてならないのは私だけでしょうか。
 天皇陛下の生前退位が各報道番組で取り上げられていました。
 人間天皇として自分の生き方までままならない現実に、今更ながらに昔の封建的な制度の在り方を引きづっている国の法制度の硬さに驚きました。皇室典範の法的根拠に抵触するかが問われていますが天皇陛下ご自身が国民に向かって、ご自身のことばで問いかけるというその行為そのものを考えると胸が熱くなります。
 
結手
2016年9月
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)
2016.09.01 01:23 | 固定リンク | 教区長法話
8月度 教区長法話
2016.08.01
合掌 
いよいよ夏本番の季節になりました。また、この時期が熱中症に一番かかりやすい時期ともいわれていますので、道場での修練の際は、こまめな水分補給と適度な休憩で体調保持に努めていただきたいと思います。

さて、いよいよ8月5日からブラジル・リオデジャネイロにおいて第31回オリンピック競技大会が8月21日までの17日間開催されます。今回のオリンピックはロシアのドーピング問題がすっきりと解決しないままの開催となり、スポーツモラルの是非が問われる大会となりそうです。
オリンピックは人類が一つであることを確認できる絶好の機会であるとともに、素朴な運動の歓びを公正に分かち合い感動を共有することであり、身体的諸能力を洗練し自らの尊厳を相手の尊重に委ねる相互尊敬であると宣言されています。
しかし、勝つことだけが全てであるような風潮も否めない現実があることも事実です。
このスポーツ競技の持つ魔力に私たちの眼が翻弄させられているのかもしれませんが、金剛禅の教えと照らし合わせてみると、手段としてのスポーツがいつの間にか勝つことが全てであるかのような錯覚に陥っている現実を理解されると思います。また、薬物を使用してまでも勝つことにこだわることに何の意義も価値も見出せないことも理解しなければなりません。

各国の選手同士の熱き戦いが我々の眼を釘付けにし、また歴史に残るようないい戦いや偉業達成があることを期待して見させていただきたいと思っています。

結手
2016年8月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)
2016.08.01 07:29 | 固定リンク | 教区長法話
6月度 教区長法話
2016.06.05
合掌 4日午後、近畿、東海地方が梅雨入りしたとみられると各気象台が発表した。いよいよ梅雨本番であるがこれも自然の成り行きであり、大宇宙の中で生かされているという真実の中での自然の恵みに感謝したいと思っています。
今マスコミ等で大変大きな話題となっているのは、北海道で小学2年生(7歳)が行方不明になり、6日ぶりに無事保護されたが、不明になったのは、父親が「しつけ」として置き去りにしたことが発端となったことである。この「しつけ」に対しての意見は様々で、ネット上では、「行き過ぎた行為」「虐待ではないか」との意見が集まるとともに、「親としてやってしまうことはあるかも」の声もあり、海外でも「日本のしつけ論争」として報じられているそうである。
 さて、私たちも少年部拳士を保護者より入門の依頼を受けるとき「道場でしつけを厳しく教えてください。」といわれる時があります。「躾」はからだを美しく飾る意のことばであり、子供などに礼儀作法を教えて身につけさせることである。また,身についた礼儀作法について少林寺拳法のしつけなっている。あるいは家庭のしつけがなっていない等の評価を受けることになります。
 私たちの評価の対象は、社会に出て恥ずかしくない常識的な言動やしぐさであり、マナーのことを指していると思いますが、各人の生活環境や考え方によってその評価の度合いには大きな差があることから、ややもすると行き過ぎた行為となってしまう事があります。
 金剛禅運動の中では同じ様な目線で少林寺拳法的な「しつけ」は出来ていると思いますが門信徒のみなさんはどの様に感じているでしょうか。大会等での整列の仕方や合掌礼の仕方、返事等々思うところは千差万別であると思います。
 結論の出ない前置きが長くなりましたが、今月はスポーツリーダー兼スポーツ少年団認定員養成テキストの中から児童の発育発達期における心理的特徴を少しご紹介したいと思います。
 1心理的特徴 
幼児期は精神の働きが情緒中心であり自他が未分化なため社会性が貧弱で自己中心性である。
  児童期は人間関係の相互依存性が強くなり集団に受け入れられたいという気持ちがおとな以上に強い。
  高学年は批判精神が芽生えまわりの影響を受けやすいことから負けると強い無気力感を持ちやすい。
 2運動と人格的発達の特徴
  幼児期、児童期ともに自分がどのような人間であるかという「自分自身についてのイメージ」を構成する領域が単純なことから運動遊びで「できた。」とか「やった。」といった達成経験を積んだ子どもは、自分はやればできるという「運動有能感」を持つようになる。反面、一生懸命やっても上達しなかったり、負けたりという経験を繰り返すと、自分はだめな人間だという「運動無力感」を持つようになってしまうことからその子なりに少しでも上達すれば評価してあげることが大事である。
 3心理学的にみた運動発達について
  運動には姿勢制御運等(たつ・ねる・まわる・ころがる等)、移動運動(あるく・はしる・とぶ等)、操作運動(うつ・ける・なげる等)の80を超える基礎的運動パターンを持つが6歳から7歳頃までにおとなと同じ様なすべての基礎的運動パターンが習得される。この時期は知覚や知的な発達も共通の原理とされているため、この時期には同じ動きを繰り返すより、いろいろ変化をつけた動きを経験する方が学習効果が高くなることから、豊富で多様な刺激や経験が重要である。
以上簡単なまとめ方ではありますが、少年部拳士に対して指導者の適切な判断の基、将来性のある「可能性の種
子達」として長い目線で大事に育てていきたいと思いますので指導の一助としていただければ幸いです。
結手
2016年6月5日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)
2016.06.05 05:50 | 固定リンク | 教区長法話
5月度 教区長法話
2016.05.01
合掌
 4月14日に発生し、いまだに収束していない熊本地震で被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。
千葉県教区しても側面から色々な形で支援活動を進めたいと検討しているところですので後ほど詳細について皆様方にご協力のお願いをすることになると思いますのでその節はよろしくお願い申し上げます。

さて、2016年度の千葉県教区事業計画の中で小教区を中心とした研修会等の活動推進プログラムを重点課題として掲げさせていただきました。実施要項については小教区長会議を通して決めていくことになりますが、具体的には、研修会の開催を促進することに重点を置きますのでその概要と私の思いについて少し述べさせていただきたいと思います。

一つ目は、研修会のテーマとして「女性拳士を中心とした研修会」を考えています。
4月3日に開催した本山公認千葉県教区講習会にも女性拳士が9名ほど参加して頂いておりました。これからの布教活動を踏まえた門信徒拡充を考えたとき、女性拳士の増加促進への取り組みは、親子拳士を取り込む観点から欠かすことのできない課題であると思っております。
女性の目線で易筋行や教学講義のカリキュラムを抽出して頂きます。そして、テーマを決めて日ごろの思いや指導法に対するディスカッションの時間を設け充分に女性目線での研修会を満喫していただき今後の修行に大いに活用していただきたいと考えています。

二つ目は、金剛禅と少年部指導についてです。少年部拳士に対して金剛禅をどのように教え理解と行動に結びつけるかが非常に難しいテーマとされています。少年部はややもすると競技主体、技術主体になりがちです。そのバランスのとれた指導法を勉強する機会を作りたいと考えています。

以上思いのみを羅列しましたが、少林寺拳法を日々の生活環境の中に取り入れ、いわば文化としての少林寺拳法を享受するためには親子を中心とした修行の環境づくりを心掛けなければならない時限(時代)に来ていると考えます。特に幼年部については母親と子どもの触れ合いを少林寺拳法の思想と技法(易筋行)と教育プログラム(教化育成プログラム)を確立することにより、暖かさをメインとした雰囲気を持つ、また一つ別の角度から見た少林寺拳法が見えてくると確信しております。

2016年度は、千葉県教区として小教区を中心としたバラエティーに富んだ研修会を考えていますのでこのページを活用して皆様の色々なご意見をお聞きし、総裁の進めている「進化した少林寺拳法」に取り組みたいと思っていますので、皆様方の思いの送信をお願いいたします。                     

結手

2016年5月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)

2016.05.01 08:08 | 固定リンク | 教区長法話

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