12月度 教区長法話
2016.12.01
今年もあと一か月を切り、何かと気ぜわしい時期になってまいりました。健康第一で師走を乗り切りたいと思います。
千葉県教区の目玉行事でありました高段者向け技術講習会を兼ねた千葉県教区研修会が11月20日(日)に開催され、30名を超える受講者があり成功裏に終了することができました。
受講していただいた門信徒の皆様には普段なかなか修練できない奥義とも言える技術をたっぷりと時間をかけて勉強していただき、大満足との感想を頂くことができ、執行部一同ほっとしているところです。
 これからも、門信徒の皆様のニーズにこたえるため日々努力を積んでいきたいと考えていますのでご期待願いたいと存じます。

 さて、世界では、米国大統領選挙のサプライズ選挙結果に余韻が醒めやらぬ中、株価は乱高下し米国内でも選挙が終わればノーサイドとは行かず、各地でデモが続くなど、まだまだ混乱が続きそうな状態にあります。このように分断された米国社会を、どうやって再びユナイテッドの旗の基に一つにしていくかが、新大統領の最大の課題であることに私たちの関心が集まっています。
 また、韓国では大統領の解任問題に大きな国民の怒りの渦が高まり毎日のようにデモが繰り返されています。
 どちらも、最高指導者への期待と失望感の交錯の中から生まれてくる国民感情が熱く伝わってくる気がしてなりません。
 決してデモがいいとは言いませんが、自分たちの考えや主張を同志とともに声を挙げて訴えることのできる環境や自由さに平和を感じることがあります。

 開祖が、「悪いことは悪い。いいことはいい。とはっきりものを言える人間になれ」と檄を飛ばされていました。ややもすると事なかれ主義が美徳のような風潮がまかり通っている日本の社会では、今はなじめない世界の時事となっているのかもしれません。

 思いを熱く語れる仲間を周りに一人でも多く集め、また語れる場を提供し金剛禅の輪をますます広げたいと思います。

2016年12月1日
千葉県教区長 森 久雄


2016.12.01 06:58 | 固定リンク | 教区長法話
11月度 教区長法話
2016.11.01
合掌 
 だいぶ秋らしくなり寒さを感じる昨今ですが、みなさまに於かれましては各種行事に奔走され慌ただしい日々を送られていることと存じます。私にとっても、みなさまと同様に慌ただしい日々に追われていますが、その忙しさの中から見出される一時の休息に格別の空間を感じ取れることの幸せを実感している今日この頃です。
さて、10月は達磨祭の月間として各道院、小教区ともに祭事を滞りなく挙行できたことと思っております。小教区としての開催は3ヶ所(3小教区)でしたが、門信徒のみなさま多数の参加でそれぞれ厳かな中にも温かみのある充実した達磨祭になったとのお話を伺っております。
「人は、人とのかかわりの中から成長する」という意味からして、道院や小教区という場に人が集まりその中での対話により自分の尺度を理解し、他人の考え方を勉強する絶好の機会ととらえることが大変大事なことであると思っております。拳技のみにとらわれず、自分の人生そのものを金剛禅の教義の中から俯瞰し自己を見直すことが易筋行たるものの醍醐味と思って私は常に行動しています。
10月22日(土)に2016年10月度都道府県教区長会議が開催されました。冒頭、金剛禅総本山少林寺大澤隆代表より「生きる力を育む文化」と題して基調講話がなされました。
これから訪れるであろう、「2025年問題」をテーマとして、社会環境が大きく変わることに対応できる金剛禅教団を目標に、単位道院が特色ある組織づくりを目指す取り組みを具体的に述べられていました。特にこれからの若者に対して伝えていく道院長の情熱は欠かすことができないものであり、SKP(少林寺拳法機構改革)はその必要最小限の条件であるという事を力説していました。
千葉県教区としては今後も、研修会や講習会をとおして拳士に学ぶ機会を与えて、「生きる力」を育んでいく事に注力し、ダーマの分霊として自分のためにもなり、社会の発展のためにもなる教区活動を展開していきたいと思っています。
門信徒の皆さまには機会あるごとに参加して頂き「自己を変革していく力」を体得し、充実した日々を送れることを切に願っております。

結手
2016年11月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)
2016.11.01 06:29 | 固定リンク | 教区長法話
10月度 教区長法話
2016.10.03
合掌 
 10月に入ると、あと今年も残り3ヶ月。短いと思うか、長いと思うか・・・、みなさまの思いも様々でしょう。
 私たち金剛禅門信徒にとって10月は、達磨祭の月でもあります。ネットやフェイスブックを検索してみると「少林寺拳法達磨祭」の文字が非常に多く現れてきます。それだけ積極的な活動がなされているという事だと思います。私の所属する千葉北部小教区に於いても10月1日(土)我孫子道院にて藤田竜太小教区長が導師を務め、厳かに挙行され厳粛な中にも温かみを感じさせる達磨祭でした。



 この達磨祭は、皆さんご存知のとおり達磨大師の命日とされている10月5日、またはその前後に挙行されています。祖師達磨大師を礼拝し、大師の命日にちなみその遺徳を偲ぶとともに、門信徒の一人一人がいっそう拳禅一如の修行に精進し、「達磨の子」として自己を確立し、真の強さとやさしさを備えた人間になることを、大師の前に誓うための儀式です。
みなさまの修練する道院での儀式行事の開催をお待ちしております。

さて、今月は達磨祭儀式に於いて導師が唱える「達磨祭祭司」の中で述べられているいくつかのことばに対して少し勉強してみたいと思います。

祭司の中では、「祖師先師の恩徳のお蔭でこの法門に入り、道を聴く者は日に日に多く、教えを受けて行じる者は、みなすぐれた効果を得、心やすらかにし、身体を養って、聖なる教えが偽りでなかったことを確信しています。しかし「不立文字」(ふりゅうもんじ):(書物によらず)、「直指人心」(じきしにんしん):(自己の心を見つめ)、「見性成仏」(けんしょうじょうぶつ):(自己の心に仏性を発見し)「行念一如」(ぎょうねんいちにょ):(信念を行動に現す)のこのすぐれた法は、奥深くて、簡単に理解することも、体得することも難しいものですが、ここに同門の同志が集って、励みあうことで、この道を伸ばし広めることに努めています。
どうか、祖師のお導きにより、この道がいつまでも絶えることなく、伝わり広まって、法門の子々孫々に至るまで、幸せであり続けますよう念じてやみません。」と唱えられています



これらの言葉は、日々の修行を積み重ねて自己の確立を向かう大乗禅たる達磨の禅風の特徴を現しています。また、金剛禅では「仏性」を「ダーマの分霊」と言い表しています。言い換えれば、ダーマに生かされながら自力の修行をしているという事なりますが、自他共楽で現されているとおり他者との援け合いがなければ宗門の行は成り立ちません。同門の同志が協力し合い、この達磨祭を機に更なる金剛禅運動の輪を広めていきたいと思います。

結手
2016年10月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)


2016.10.03 11:28 | 固定リンク | 教区長法話
9月度 教区長法話
2016.09.01
合掌 
暑さ寒さも彼岸まで・・・とはよく言ったものです。少しすると、夏の暑さが恋しくなる季節になってしまいます。人間は全くわがままな生き物ですね。
 今年の8月はいろいろな出来事がありました。第31回リオ・オリンピック競技大会はもちろんのこと、天皇陛下の生前退位のビデオ放映等もありましたがみなさまにはどの様に感じ取れたことでしょうか。
オリンピックに関しては、予想に反してメダルラッシュと騒がれています。私が非常に気になるのは、メダルの取れなかった選手に対する扱いです。8月は終戦記念日等との報道もあり、言い方が悪いかもしれませんが、特攻隊の生き残り的な心境とメダルに届かなかった選手の心境を重ね合わせてしまいます。
国の威信をかけた大会に挑み、全身全霊を傾けて戦い結果としてメダル取得に至らず帰国の途に就く選手のことを考えると、スポーツの在り方や、報道の仕方、そして私たちを含めたスポーツに対する考え方を今一度見直し、プレーヤー、観戦者共に本当に楽しみを享受できるスポーツにならなくてはいけないと思います。
昨今の報道は、メダルの数のみに重きを置き取れなかった選手や取れない競技は放映すらして貰えないのが現状です。開祖のよく言われていた言葉が脳裏に浮かびます。煩悩にまみれた俗人の中に没頭し俗人の眼で世の中を見たくない。私たちは金剛禅門信徒の眼で世の中を俯瞰したい。それによりまた違った感覚が観えてくる気がしてならないのは私だけでしょうか。
 天皇陛下の生前退位が各報道番組で取り上げられていました。
 人間天皇として自分の生き方までままならない現実に、今更ながらに昔の封建的な制度の在り方を引きづっている国の法制度の硬さに驚きました。皇室典範の法的根拠に抵触するかが問われていますが天皇陛下ご自身が国民に向かって、ご自身のことばで問いかけるというその行為そのものを考えると胸が熱くなります。
 
結手
2016年9月
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)
2016.09.01 01:23 | 固定リンク | 教区長法話
8月度 教区長法話
2016.08.01
合掌 
いよいよ夏本番の季節になりました。また、この時期が熱中症に一番かかりやすい時期ともいわれていますので、道場での修練の際は、こまめな水分補給と適度な休憩で体調保持に努めていただきたいと思います。

さて、いよいよ8月5日からブラジル・リオデジャネイロにおいて第31回オリンピック競技大会が8月21日までの17日間開催されます。今回のオリンピックはロシアのドーピング問題がすっきりと解決しないままの開催となり、スポーツモラルの是非が問われる大会となりそうです。
オリンピックは人類が一つであることを確認できる絶好の機会であるとともに、素朴な運動の歓びを公正に分かち合い感動を共有することであり、身体的諸能力を洗練し自らの尊厳を相手の尊重に委ねる相互尊敬であると宣言されています。
しかし、勝つことだけが全てであるような風潮も否めない現実があることも事実です。
このスポーツ競技の持つ魔力に私たちの眼が翻弄させられているのかもしれませんが、金剛禅の教えと照らし合わせてみると、手段としてのスポーツがいつの間にか勝つことが全てであるかのような錯覚に陥っている現実を理解されると思います。また、薬物を使用してまでも勝つことにこだわることに何の意義も価値も見出せないことも理解しなければなりません。

各国の選手同士の熱き戦いが我々の眼を釘付けにし、また歴史に残るようないい戦いや偉業達成があることを期待して見させていただきたいと思っています。

結手
2016年8月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)
2016.08.01 07:29 | 固定リンク | 教区長法話

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