2016年3月 教区長法話
2016.03.01
2015年度を振り返って

合掌 千葉県教区長の拝命を受けて早一年が経ちました。
布教と教化育成を主テーマに活動を展開し、皆様のご協力によりいち早く千葉県教区ホームページを立ち上げることができました。このホームページを千葉県教区の情報ツールとして活用し、教化育成の取り組みに貢献できれば最良のコミュニケーションツールとしての役割を果たすことができると思いますので今後とも最善の努力を課したいと思いますのでよろしくお願い申し上げます。

さて、3月の法話については、「布教」という少し高度な内容に挑戦してみたいと思います。
以前、ある話し合いの中で、財団法人と宗教法人があるが少林寺拳法に違いはないですよね。という言葉を投げかけられました。確かに技や拳技に差別はないし昇段の段位も同じという事になれば別にどちらでもいいや・・・という事になってしまう。非常に難しい問いかけに対して、私たち道院長はどのように答えるでしょうか。

「布教」とは、金剛禅の指導者(布教に従事する道院長)が、釈尊の正しい教えを、達磨の遺法
と開祖の教示に従って、他人に伝達弘布(ぐぶ)することと定義されています。
私たちが人から人へと伝え弘めるのは「人」に対して技術を伝達弘布するのではないことを理解しなくてはなりません。
金剛禅では教化育成の観点から布教の展開の過程を次のように段階づけています。
易筋行(主行)の修練~学科・教典読誦唱和の学習~儀式行事への参加(入門式・達磨祭・開祖忌)~布薩会(ふさつえ)(日々の反省行としての場)~阿羅漢会(あらはんえ)(修行への感謝行としての場)~法座(ほうざ)(参加者全員がお互いに話し合いながら自己修練による教化を行える場)。この様な修行体制の場は道院または、小教区という集合体にのみ出来得る環境であると思います。同じ少林寺拳法の修行であっても頂点を見極める選択ができるような修行の場を提供することが一番大切な事になります。

開祖は、「人間こそダーマの分霊をもつた宗教的にいえば神であり仏である。こういう自覚が
できた時に初めて己というものが尊いと思える。自己を確立するということは、自分の尊厳を見極めることにつきるのです。自分は宇宙の素晴らしい働きをもつたダーマの分霊をもつ素晴らしい人間だという自覚。それがわかったら今度はそれを生かして人のため社会のため全体のために働く人間になりなさい。」(開祖語録)
このことからもわかるように、自分が金剛禅の教えに帰依し、人間は人々との「縁」によって変えられ、変わっていく存在である。よって、自分は必ず変えられると信じて、良くなろうと努力することを怠らず、多くの人々との「縁」を大切にし、人の為にすすんで奉仕する行為を実践することが金剛禅の布教の原点という事になります。

金剛禅布教のためには次の四つの原理を理解する必要があります。
四摂法(ししょうぼう)(人々を引きつけ救うための四つの徳)
布施(ふせ)  → 他者に分かち与えること。
愛語(あいご) → 親しみのある優しい言葉をかけること。
利行(りぎょう)→ 人のために尽くすこと。
同事(どうじ) → 他者と協力すること。
 
 私たちは、釈尊の正しい教えを現代に生かす思想としての金剛禅運動を展開しています。そのためには、門信徒全員がダーマの分霊を得た良き布教者となるべき道を共に勉強し、理解を深めみなさんと教えを享受しながら楽しく歩んで行きたいと思っています。
合掌再拝
『僧階教本Ⅱ』の分冊「運動論(実践論)2 布教の手引き 布教編」

2016年 3月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院)


2016.03.01 06:00 | 固定リンク | 教区長法話
「感性を磨く」 2016年2月 教区長法話
2016.02.01
千葉県教区では、来る2月11日(木・祝日)「2016年新春法会」が執り行われます。
毎年恒例の新春行事ではありますが、三井ガーデンホテル千葉にて開催いたしますので門信徒のみなさま多数のご参加をお願いいたします。
詳細については、すでにこの千葉県教区ホームページに掲載してありますのでご参照下さい。

金剛禅総本山少林寺(本山)では去る1月10日に新春法会が凛とした中で厳かに執り行われ、金剛禅総本山少林寺大澤代表の年頭のご挨拶をいただきました。
そのご挨拶の中で我々現道院長が、将来の創始100周年に向けて次の世代にバトンを託すことの重要性を語られていました。
そのためにも、来年=2017年の創始70年の各種記念行事を盛大に、そして実のあるものにしていかなければなりません。
そのことを踏まえ今年は、創始70周年の節目を迎えるための準備の年として「創始70周年に向けた架け橋たる年に・・・」というテーマの元、開祖の志しを今一度足元から見つめ直し金剛禅運動の第一線の場として千葉県教区活動の充実と教化育成を推進していきたいと考えています。


(2016年1月10日 本山での新春法会の1コマ)

さて、先月の武専授業の中で「師家講話」聴講がありました。その講話の中で「常に感性を磨いて社会の動向に関心を持ち・・・」というメッセージを述べられていました。
「感性」を磨くとは、私たちの金剛禅修行にどのような位置付けを持っているのか非常に気になるところでしたので、今月はその「感性を磨く」について考えてみたいと思います。

以前、20代半ばで志をもって本校武専に入学し現在幼稚園の経営と共に道院を開設し金剛禅運動を邁進している、実に実直な性格の卒業生の方からこのようなお話を聞いたことがあります。
入学当時、作務が日課であり夜明けとともに本堂、トイレ、階段、その他順番に毎日作務に明け暮れていました。このことが行うべき修行と思い勉学と共に1年もたったころ、自分の中のある変化に気づいたそうです。その気づきとは、毎日の日課である作務を含め、目にするものに対して整理整頓されているかどうかとか、もちろん汚れに対しても同様ですが、とにかく整理整頓の状況や、作務の段取り、手順まで自然と見えてくるようになったそうです。作務という修行の継続により、物事の考え方やそのプロセスの輪郭まで感じ取れるほどに感性が研ぎ澄まされてきたとの事でした。少しオーバーな言い方をしていると思われるかもしれませんが、感性を磨くという事は課題を持ちそれを深く追及することが必要なのかもしれません。その深い関心と追及の中から自然と自己の心理が脳の中で分別され必要な情報を瞬時に提供してくれるようになってきているのかもしれません。
私たちも、新聞や雑誌を何気なく眺めている時小さく「少林寺」という文字が載っているだけでも敏感に脳が反応し、目に入ってしまう事があると思います。不思議といえば確かに不思議なものです。

その感性を磨くためには目的と課題をもって情報を収集することが必要です。
・関心を持ち情報をいろんな角度からたくさん得る(常に収集の意識を持つ)
・情報の再構築(情報の真意を考えながらプロセスを整理する)
・情報の交換(他人とのディスカッションにより考え方や解釈の違いの根源を理解する)

感性とは、言い換えれば「センス」という事になります。いろいろな感性の中にも金剛禅的センスというものがあるような気がします。
私たちの信仰する金剛禅運動の目的や志に確固たる信念を持つことにより感性を磨くことができるようになり、センスの良さが生まれて来るのではないでしょうか。
感性とは、「感じ取る力」であり、日々の生活の中から感じ取る力を身に着けることができると思います。時代の流れを感じ取る力を持ち、接する人々の心(心理)を感じ取る力を養うためには、問題意識をもって物事を深く考え、より深く見ることが必要となってきます。この日々の修行ともいえるスキルを切磋琢磨することにより、紙背を読むことができ社会の動向や、政治の変化そして平和への取り組み方、社会問題いろいろなテーマが多く存在しますが、どれ一つをとっても、私たち金剛禅運動には欠かすことのできない情報です。アンテナを高く掲げ常に正しい眼(正見)を持ち、真理に照らして物事を考え(正思)、事あるごとに話し合える場を持ち同志相親しみによる金剛禅の輪を広げたいものです。

2016年 2月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院)
2016.02.01 06:00 | 固定リンク | 教区長法話
2016年千葉県教区長 新年のごあいさつ
2016.01.01

合掌 
新年あけましておめでとうございます。
千葉県教区門信徒のみなさまもそれぞれに良い新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 今年は、千葉県教区として初めての本山公認講習会を4月3日(日)に東京別院をお借りして開催する予定になっています。現在準備を進めているところですが是非とも多くの門信徒のみなさまに受講して頂ける様千葉県教区執行部役員全員で企画を練っているところですので楽しみにお待ち頂きたいと思います。また、小教区長の先生方が中心となりご案内があると思いますので各道院幹部全員のご参加をお待ちしております。




 さて、昨年は戦後70年の節目として先の大戦に関する報道や行事がたくさん行われ私たちも今更ながらに開祖の戦争に対する思いと重複し考えさせられた1年であったと思います。戦争を体験された方々が段々少なくなり文字だけの戦後になっていくような気がしてなりません。
私の父はすでに他界していますが、明治39年生まれで、支那事変から徴兵され大戦終戦まで長きにわたり兵役していました。水戸第二連隊に所属し大戦の時はソ満国境近くに駐屯していたそうです。また、母は健在ですが大正10年生まれで女学校卒業後単身満州に渡り、満鉄本社の総務課に勤務しハルピン駅近くの寮(官舎)に入っていたそうです。
まさに開祖の満州での戦争体験や満鉄勤務時代と場所も時間も共有していて両親の話とのマッチングが私の想像の粋がさらに大きなものしていきました。
敗戦後ソ連軍が街を歩いている人を誰彼構わず連行しトラックに載せて連れ去っていく事への恐怖や、引揚者の並大抵の苦労ではない様子等を生々しく語ってくれる母の話を聞くと、誰もが自分のことだけで精一杯で、如何にして生きて自国に帰れるかのみを考えていたそうです。
この様な、誰もが自分のことだけで精一杯の戦況の中で開祖は戦争の悲惨さや出来事を正しい眼で俯瞰し、判断し、しかも、その後の日本国の生末を案じるだけでなく、祖国救済の志しの基金剛禅を生み出されたその行動力は動禅たる所以に他ならないと思います。

私たちは、正しい眼で物事を見る(考える)、判断することの大切さを金剛禅から学びました。正しい釈尊の教えが金剛禅の教えであることからまず、正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の八正道の法門を深く心に刻み込み、時世の中に置かれた自己を認識しその時々の真理の条件・立場に合った最善の方法の見方や考え方で物事を判断し行動することが望まれます。国の根幹を揺るがすかもしれない法案や青少年を取り巻く環境についても様々な情報を整理整頓し正しい眼で捉え自分としての考え方や信念を醸成し語ることが自己確立への第一歩であると思っています。

最後になりますが、今年は「門信徒が集まるところから始まる」を合言葉に同志相集い相親しみにより自分の考えを主張しそして、相手の考えを理解し尊重し、その中から新しい自分を発見して頂きたと思います。
そのために、千葉県教区執行部一丸となって門信徒の皆様の環境づくりに邁進したいと考えていますのでよろしくお願いいたします。

2016年 元日 
千葉県教区長
 森 久雄(千葉野田道院長)

注)支那事変は、1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件を発端として北支(北支那、現中国の華北地方)周辺へと拡大した。8月の第二次上海事変勃発以後は中支(中支那、現中国の華中地方)へも飛び火、次第に中国大陸全土へと飛散し、日本と中華民国の戦争の様相を呈していった。
 
2016.01.01 15:11 | 固定リンク | 教区長法話
2015年を振り返って 12月の教区長法話
2015.12.12
今年も残りあとわずかとなりました。
この時期になると、やたらと耳にするのが、「今年もあっという間に年末が来てしまったなー」とか「今年はやたらと短かったな・・・」のあいさつ言葉ですが皆さんはいかがでしょうか。
人によって時間の感じ方もまちまちですが、そもそも時間は万人に平等に与えられているものでありその使い方に対する価値観をどう感じ取るかによって差が生じるものと思います。
私も今年一年を振り返って見ると慌ただしさの中で、少林寺拳法と仕事そして家庭の三つ巴の中で過ごした時間に対してどれも満足のいくような使い方が出来なかったことに対する自己嫌悪の念に陥っている今日この頃です。しかし考えてみればこの環境が少林寺拳法人生のすべてであるような気がしてならないのは私だけではないと思いますが門信徒仲間としての皆さんはいかがですか。
実にならない時間の使い方で今更ながらに反省行に浸っているのは同じではないでしょうか。

さて、11月28日に関東地区都県教区長会議が開催されました。その中で茨城県教区長より冒頭、台風18号の大雨による常総市水害支援活動に対してのお礼の言葉がありました。
また、千葉県教区よりいち早く支援活動として多数の拳士が連日駆けつけ水害の後片付けを行ったことや、お見舞金をお渡しした道院長に対しても心からの感謝の意を表されていました。
私も道院の拳士と共に連日支援活動に参加し常総市石下地区で被災された拳士宅の復旧に当たらせていただきましたが、いまだに複数の道院が正常な運営活動ができていないそうです。

金剛禅運動の原点が「半ばは我が身の幸せを半ばは他人の幸せを」ということからして、今が身をもって行動する時期ではないかと考えます。眼や耳を背け見ないようにするのではなく、積極的に見たり聞いたりし自分の行動を金剛禅の教えの尺度で判断し行動につなげることが自己に対する修行であると思います。金剛禅の輪を身近なところから別の角度で広げてみてはいかがでしょうか。

今月は、金剛禅布教者の心得について門信徒のみなさんと少し勉強してみたいと思います。
門信徒のみなさんには、「金剛禅」、「金剛禅運動」、「少林寺拳法」の3つのキーワードの意義をそれぞれ理解していいただきたいと思います。
はじめに、「金剛禅とは」についてですが、金剛禅とは開祖が釈尊の正しい教えと達磨の行法を基盤とし、これを現代に生かした行動の宗教として、幸福と生き甲斐を思想に創設されたものです。
この中でいう「釈尊の正しい教えを生かした宗門(行動の宗教)の在るべき姿」というものを列記すると次のようになります。
・生身の人間の生き方を問いつづけること(現状に満足しない)
・呪術や祈祷に頼らず教えに依ること(智慧の眼で見ること)
・この世に理想境を打ち建てるため社会に貢献すること(奉仕の心)
・苦行ではなく養行精進すること(内修、外修の調和)
・教えを日常生活の中で実践すること(自他共楽)
・職業生活を含めて普通の社会生活を送ること(仲間みんなで)
次に「金剛禅運動」というのは、金剛禅思想を身につけた同志を育てることを通して、拳士信条を実践する運動のことです。言い換えれば、身心の改造(易筋行)による、寄べたる自己の形成と他者への奉仕(半ばは我が身の幸せを半ばは他人の幸せを)によって、人間相互の援け合いによる、物心ともに平和で豊かな社会を実現させようという運動ということになります。
そして「少林寺拳法」とは、金剛禅運動という大きな目的を達成するための「人づくり」の手段であり、金剛禅宗門の主行であるという位置づけになります。
以上のことから、私たちは主行である少林寺拳法を通して道院で仲間と共に多くのことを学び現状に甘んじることなく常に失敗を恐れない不撓不屈の精神を養い拳士相互の力を合わせすぐ出来ることからすぐ始める行動の宗教集団であるということを常に認識していなければならないというになると思います。

今年は小教区での教化育成活動が活発に行われていますので、門信徒のみなさんは機会をとらえ教学に対する勉強会に参加し学習を重ね自己研鑽に励んでいただきたいと思います。このことが自己を知ることへのきっきけとなり、行動が「技術練習から易筋行」へ変革し「霊止として生かされている」ことへの自覚が体得できることと思います。
参考資料 仏教のあゆみと金剛禅(仏教史編・宗教論4)
2015.12.12 06:52 | 固定リンク | 教区長法話
教区長あいさつ
2015.08.19
合掌 2015年度より千葉県教区長を拝命しました、森久雄です。

この度、千葉県教区のホームページを立ち上げることになりましたので、一言ご挨拶申し上げます。

開祖は、釈尊の教えと達磨の行を通して、霊肉一如の人間完成を目的とした金剛禅を建立し、その布教・修行の方法として、達磨大師の二入四行論を現代に通用できるような形で編成し少林寺拳法という人集めの手段を編み出しその「行」の中で、人間はいかに生きるべきかを説く金剛禅の「行念一如」による教化育成を実践しそれを「自他共楽」の道としました。

私たちはその教え、考え方に共鳴し今日までその道を歩み道院に於いても、ダーマの分霊たる「可能性の種子たち」を誠心誠意育ててきました。
私たちの金剛禅運動は青少年育成活動として自他共に充分評価されていることと思います。

千葉県教区としては、皆さんの今までに培った金剛禅運動のひとつ一つのスキルを県教区全体の門信徒に共有した修行方法(易筋行)として水平展開し門信徒誰もが更なる僧階を持てるような教団を目指しています。

開祖は、人間の尊厳を根底から変えるのは、道徳を超えた宗教心以外にない。と説かれ金剛禅門信徒の修行法を提示されました。
我々はその修行法に信心帰依する事が今必要とされていると思います。

今後、種々の講習会、福祉活動等を予定していますのでぜひとも教区門信徒全員の力を集結しより良い環境づくりを目指すとともに千葉県教区活動の更に推進したいと考えていますのでよろしくお願い申しあげます。

結手




千葉県教区長
千葉野田道院 森 久雄
2015.08.19 10:04 | 固定リンク | 教区長法話

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