6月度 教区長法話
2016.06.05
合掌 4日午後、近畿、東海地方が梅雨入りしたとみられると各気象台が発表した。いよいよ梅雨本番であるがこれも自然の成り行きであり、大宇宙の中で生かされているという真実の中での自然の恵みに感謝したいと思っています。
今マスコミ等で大変大きな話題となっているのは、北海道で小学2年生(7歳)が行方不明になり、6日ぶりに無事保護されたが、不明になったのは、父親が「しつけ」として置き去りにしたことが発端となったことである。この「しつけ」に対しての意見は様々で、ネット上では、「行き過ぎた行為」「虐待ではないか」との意見が集まるとともに、「親としてやってしまうことはあるかも」の声もあり、海外でも「日本のしつけ論争」として報じられているそうである。
 さて、私たちも少年部拳士を保護者より入門の依頼を受けるとき「道場でしつけを厳しく教えてください。」といわれる時があります。「躾」はからだを美しく飾る意のことばであり、子供などに礼儀作法を教えて身につけさせることである。また,身についた礼儀作法について少林寺拳法のしつけなっている。あるいは家庭のしつけがなっていない等の評価を受けることになります。
 私たちの評価の対象は、社会に出て恥ずかしくない常識的な言動やしぐさであり、マナーのことを指していると思いますが、各人の生活環境や考え方によってその評価の度合いには大きな差があることから、ややもすると行き過ぎた行為となってしまう事があります。
 金剛禅運動の中では同じ様な目線で少林寺拳法的な「しつけ」は出来ていると思いますが門信徒のみなさんはどの様に感じているでしょうか。大会等での整列の仕方や合掌礼の仕方、返事等々思うところは千差万別であると思います。
 結論の出ない前置きが長くなりましたが、今月はスポーツリーダー兼スポーツ少年団認定員養成テキストの中から児童の発育発達期における心理的特徴を少しご紹介したいと思います。
 1心理的特徴 
幼児期は精神の働きが情緒中心であり自他が未分化なため社会性が貧弱で自己中心性である。
  児童期は人間関係の相互依存性が強くなり集団に受け入れられたいという気持ちがおとな以上に強い。
  高学年は批判精神が芽生えまわりの影響を受けやすいことから負けると強い無気力感を持ちやすい。
 2運動と人格的発達の特徴
  幼児期、児童期ともに自分がどのような人間であるかという「自分自身についてのイメージ」を構成する領域が単純なことから運動遊びで「できた。」とか「やった。」といった達成経験を積んだ子どもは、自分はやればできるという「運動有能感」を持つようになる。反面、一生懸命やっても上達しなかったり、負けたりという経験を繰り返すと、自分はだめな人間だという「運動無力感」を持つようになってしまうことからその子なりに少しでも上達すれば評価してあげることが大事である。
 3心理学的にみた運動発達について
  運動には姿勢制御運等(たつ・ねる・まわる・ころがる等)、移動運動(あるく・はしる・とぶ等)、操作運動(うつ・ける・なげる等)の80を超える基礎的運動パターンを持つが6歳から7歳頃までにおとなと同じ様なすべての基礎的運動パターンが習得される。この時期は知覚や知的な発達も共通の原理とされているため、この時期には同じ動きを繰り返すより、いろいろ変化をつけた動きを経験する方が学習効果が高くなることから、豊富で多様な刺激や経験が重要である。
以上簡単なまとめ方ではありますが、少年部拳士に対して指導者の適切な判断の基、将来性のある「可能性の種
子達」として長い目線で大事に育てていきたいと思いますので指導の一助としていただければ幸いです。
結手
2016年6月5日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)
2016.06.05 05:50 | 固定リンク | 教区長法話
5月度 教区長法話
2016.05.01
合掌
 4月14日に発生し、いまだに収束していない熊本地震で被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。
千葉県教区しても側面から色々な形で支援活動を進めたいと検討しているところですので後ほど詳細について皆様方にご協力のお願いをすることになると思いますのでその節はよろしくお願い申し上げます。

さて、2016年度の千葉県教区事業計画の中で小教区を中心とした研修会等の活動推進プログラムを重点課題として掲げさせていただきました。実施要項については小教区長会議を通して決めていくことになりますが、具体的には、研修会の開催を促進することに重点を置きますのでその概要と私の思いについて少し述べさせていただきたいと思います。

一つ目は、研修会のテーマとして「女性拳士を中心とした研修会」を考えています。
4月3日に開催した本山公認千葉県教区講習会にも女性拳士が9名ほど参加して頂いておりました。これからの布教活動を踏まえた門信徒拡充を考えたとき、女性拳士の増加促進への取り組みは、親子拳士を取り込む観点から欠かすことのできない課題であると思っております。
女性の目線で易筋行や教学講義のカリキュラムを抽出して頂きます。そして、テーマを決めて日ごろの思いや指導法に対するディスカッションの時間を設け充分に女性目線での研修会を満喫していただき今後の修行に大いに活用していただきたいと考えています。

二つ目は、金剛禅と少年部指導についてです。少年部拳士に対して金剛禅をどのように教え理解と行動に結びつけるかが非常に難しいテーマとされています。少年部はややもすると競技主体、技術主体になりがちです。そのバランスのとれた指導法を勉強する機会を作りたいと考えています。

以上思いのみを羅列しましたが、少林寺拳法を日々の生活環境の中に取り入れ、いわば文化としての少林寺拳法を享受するためには親子を中心とした修行の環境づくりを心掛けなければならない時限(時代)に来ていると考えます。特に幼年部については母親と子どもの触れ合いを少林寺拳法の思想と技法(易筋行)と教育プログラム(教化育成プログラム)を確立することにより、暖かさをメインとした雰囲気を持つ、また一つ別の角度から見た少林寺拳法が見えてくると確信しております。

2016年度は、千葉県教区として小教区を中心としたバラエティーに富んだ研修会を考えていますのでこのページを活用して皆様の色々なご意見をお聞きし、総裁の進めている「進化した少林寺拳法」に取り組みたいと思っていますので、皆様方の思いの送信をお願いいたします。                     

結手

2016年5月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院長)

2016.05.01 08:08 | 固定リンク | 教区長法話
2016年3月 教区長法話
2016.03.01
2015年度を振り返って

合掌 千葉県教区長の拝命を受けて早一年が経ちました。
布教と教化育成を主テーマに活動を展開し、皆様のご協力によりいち早く千葉県教区ホームページを立ち上げることができました。このホームページを千葉県教区の情報ツールとして活用し、教化育成の取り組みに貢献できれば最良のコミュニケーションツールとしての役割を果たすことができると思いますので今後とも最善の努力を課したいと思いますのでよろしくお願い申し上げます。

さて、3月の法話については、「布教」という少し高度な内容に挑戦してみたいと思います。
以前、ある話し合いの中で、財団法人と宗教法人があるが少林寺拳法に違いはないですよね。という言葉を投げかけられました。確かに技や拳技に差別はないし昇段の段位も同じという事になれば別にどちらでもいいや・・・という事になってしまう。非常に難しい問いかけに対して、私たち道院長はどのように答えるでしょうか。

「布教」とは、金剛禅の指導者(布教に従事する道院長)が、釈尊の正しい教えを、達磨の遺法
と開祖の教示に従って、他人に伝達弘布(ぐぶ)することと定義されています。
私たちが人から人へと伝え弘めるのは「人」に対して技術を伝達弘布するのではないことを理解しなくてはなりません。
金剛禅では教化育成の観点から布教の展開の過程を次のように段階づけています。
易筋行(主行)の修練~学科・教典読誦唱和の学習~儀式行事への参加(入門式・達磨祭・開祖忌)~布薩会(ふさつえ)(日々の反省行としての場)~阿羅漢会(あらはんえ)(修行への感謝行としての場)~法座(ほうざ)(参加者全員がお互いに話し合いながら自己修練による教化を行える場)。この様な修行体制の場は道院または、小教区という集合体にのみ出来得る環境であると思います。同じ少林寺拳法の修行であっても頂点を見極める選択ができるような修行の場を提供することが一番大切な事になります。

開祖は、「人間こそダーマの分霊をもつた宗教的にいえば神であり仏である。こういう自覚が
できた時に初めて己というものが尊いと思える。自己を確立するということは、自分の尊厳を見極めることにつきるのです。自分は宇宙の素晴らしい働きをもつたダーマの分霊をもつ素晴らしい人間だという自覚。それがわかったら今度はそれを生かして人のため社会のため全体のために働く人間になりなさい。」(開祖語録)
このことからもわかるように、自分が金剛禅の教えに帰依し、人間は人々との「縁」によって変えられ、変わっていく存在である。よって、自分は必ず変えられると信じて、良くなろうと努力することを怠らず、多くの人々との「縁」を大切にし、人の為にすすんで奉仕する行為を実践することが金剛禅の布教の原点という事になります。

金剛禅布教のためには次の四つの原理を理解する必要があります。
四摂法(ししょうぼう)(人々を引きつけ救うための四つの徳)
布施(ふせ)  → 他者に分かち与えること。
愛語(あいご) → 親しみのある優しい言葉をかけること。
利行(りぎょう)→ 人のために尽くすこと。
同事(どうじ) → 他者と協力すること。
 
 私たちは、釈尊の正しい教えを現代に生かす思想としての金剛禅運動を展開しています。そのためには、門信徒全員がダーマの分霊を得た良き布教者となるべき道を共に勉強し、理解を深めみなさんと教えを享受しながら楽しく歩んで行きたいと思っています。
合掌再拝
『僧階教本Ⅱ』の分冊「運動論(実践論)2 布教の手引き 布教編」

2016年 3月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院)


2016.03.01 06:00 | 固定リンク | 教区長法話
「感性を磨く」 2016年2月 教区長法話
2016.02.01
千葉県教区では、来る2月11日(木・祝日)「2016年新春法会」が執り行われます。
毎年恒例の新春行事ではありますが、三井ガーデンホテル千葉にて開催いたしますので門信徒のみなさま多数のご参加をお願いいたします。
詳細については、すでにこの千葉県教区ホームページに掲載してありますのでご参照下さい。

金剛禅総本山少林寺(本山)では去る1月10日に新春法会が凛とした中で厳かに執り行われ、金剛禅総本山少林寺大澤代表の年頭のご挨拶をいただきました。
そのご挨拶の中で我々現道院長が、将来の創始100周年に向けて次の世代にバトンを託すことの重要性を語られていました。
そのためにも、来年=2017年の創始70年の各種記念行事を盛大に、そして実のあるものにしていかなければなりません。
そのことを踏まえ今年は、創始70周年の節目を迎えるための準備の年として「創始70周年に向けた架け橋たる年に・・・」というテーマの元、開祖の志しを今一度足元から見つめ直し金剛禅運動の第一線の場として千葉県教区活動の充実と教化育成を推進していきたいと考えています。


(2016年1月10日 本山での新春法会の1コマ)

さて、先月の武専授業の中で「師家講話」聴講がありました。その講話の中で「常に感性を磨いて社会の動向に関心を持ち・・・」というメッセージを述べられていました。
「感性」を磨くとは、私たちの金剛禅修行にどのような位置付けを持っているのか非常に気になるところでしたので、今月はその「感性を磨く」について考えてみたいと思います。

以前、20代半ばで志をもって本校武専に入学し現在幼稚園の経営と共に道院を開設し金剛禅運動を邁進している、実に実直な性格の卒業生の方からこのようなお話を聞いたことがあります。
入学当時、作務が日課であり夜明けとともに本堂、トイレ、階段、その他順番に毎日作務に明け暮れていました。このことが行うべき修行と思い勉学と共に1年もたったころ、自分の中のある変化に気づいたそうです。その気づきとは、毎日の日課である作務を含め、目にするものに対して整理整頓されているかどうかとか、もちろん汚れに対しても同様ですが、とにかく整理整頓の状況や、作務の段取り、手順まで自然と見えてくるようになったそうです。作務という修行の継続により、物事の考え方やそのプロセスの輪郭まで感じ取れるほどに感性が研ぎ澄まされてきたとの事でした。少しオーバーな言い方をしていると思われるかもしれませんが、感性を磨くという事は課題を持ちそれを深く追及することが必要なのかもしれません。その深い関心と追及の中から自然と自己の心理が脳の中で分別され必要な情報を瞬時に提供してくれるようになってきているのかもしれません。
私たちも、新聞や雑誌を何気なく眺めている時小さく「少林寺」という文字が載っているだけでも敏感に脳が反応し、目に入ってしまう事があると思います。不思議といえば確かに不思議なものです。

その感性を磨くためには目的と課題をもって情報を収集することが必要です。
・関心を持ち情報をいろんな角度からたくさん得る(常に収集の意識を持つ)
・情報の再構築(情報の真意を考えながらプロセスを整理する)
・情報の交換(他人とのディスカッションにより考え方や解釈の違いの根源を理解する)

感性とは、言い換えれば「センス」という事になります。いろいろな感性の中にも金剛禅的センスというものがあるような気がします。
私たちの信仰する金剛禅運動の目的や志に確固たる信念を持つことにより感性を磨くことができるようになり、センスの良さが生まれて来るのではないでしょうか。
感性とは、「感じ取る力」であり、日々の生活の中から感じ取る力を身に着けることができると思います。時代の流れを感じ取る力を持ち、接する人々の心(心理)を感じ取る力を養うためには、問題意識をもって物事を深く考え、より深く見ることが必要となってきます。この日々の修行ともいえるスキルを切磋琢磨することにより、紙背を読むことができ社会の動向や、政治の変化そして平和への取り組み方、社会問題いろいろなテーマが多く存在しますが、どれ一つをとっても、私たち金剛禅運動には欠かすことのできない情報です。アンテナを高く掲げ常に正しい眼(正見)を持ち、真理に照らして物事を考え(正思)、事あるごとに話し合える場を持ち同志相親しみによる金剛禅の輪を広げたいものです。

2016年 2月1日
千葉県教区長 森 久雄(千葉野田道院)
2016.02.01 06:00 | 固定リンク | 教区長法話
2016年千葉県教区長 新年のごあいさつ
2016.01.01

合掌 
新年あけましておめでとうございます。
千葉県教区門信徒のみなさまもそれぞれに良い新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 今年は、千葉県教区として初めての本山公認講習会を4月3日(日)に東京別院をお借りして開催する予定になっています。現在準備を進めているところですが是非とも多くの門信徒のみなさまに受講して頂ける様千葉県教区執行部役員全員で企画を練っているところですので楽しみにお待ち頂きたいと思います。また、小教区長の先生方が中心となりご案内があると思いますので各道院幹部全員のご参加をお待ちしております。




 さて、昨年は戦後70年の節目として先の大戦に関する報道や行事がたくさん行われ私たちも今更ながらに開祖の戦争に対する思いと重複し考えさせられた1年であったと思います。戦争を体験された方々が段々少なくなり文字だけの戦後になっていくような気がしてなりません。
私の父はすでに他界していますが、明治39年生まれで、支那事変から徴兵され大戦終戦まで長きにわたり兵役していました。水戸第二連隊に所属し大戦の時はソ満国境近くに駐屯していたそうです。また、母は健在ですが大正10年生まれで女学校卒業後単身満州に渡り、満鉄本社の総務課に勤務しハルピン駅近くの寮(官舎)に入っていたそうです。
まさに開祖の満州での戦争体験や満鉄勤務時代と場所も時間も共有していて両親の話とのマッチングが私の想像の粋がさらに大きなものしていきました。
敗戦後ソ連軍が街を歩いている人を誰彼構わず連行しトラックに載せて連れ去っていく事への恐怖や、引揚者の並大抵の苦労ではない様子等を生々しく語ってくれる母の話を聞くと、誰もが自分のことだけで精一杯で、如何にして生きて自国に帰れるかのみを考えていたそうです。
この様な、誰もが自分のことだけで精一杯の戦況の中で開祖は戦争の悲惨さや出来事を正しい眼で俯瞰し、判断し、しかも、その後の日本国の生末を案じるだけでなく、祖国救済の志しの基金剛禅を生み出されたその行動力は動禅たる所以に他ならないと思います。

私たちは、正しい眼で物事を見る(考える)、判断することの大切さを金剛禅から学びました。正しい釈尊の教えが金剛禅の教えであることからまず、正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の八正道の法門を深く心に刻み込み、時世の中に置かれた自己を認識しその時々の真理の条件・立場に合った最善の方法の見方や考え方で物事を判断し行動することが望まれます。国の根幹を揺るがすかもしれない法案や青少年を取り巻く環境についても様々な情報を整理整頓し正しい眼で捉え自分としての考え方や信念を醸成し語ることが自己確立への第一歩であると思っています。

最後になりますが、今年は「門信徒が集まるところから始まる」を合言葉に同志相集い相親しみにより自分の考えを主張しそして、相手の考えを理解し尊重し、その中から新しい自分を発見して頂きたと思います。
そのために、千葉県教区執行部一丸となって門信徒の皆様の環境づくりに邁進したいと考えていますのでよろしくお願いいたします。

2016年 元日 
千葉県教区長
 森 久雄(千葉野田道院長)

注)支那事変は、1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件を発端として北支(北支那、現中国の華北地方)周辺へと拡大した。8月の第二次上海事変勃発以後は中支(中支那、現中国の華中地方)へも飛び火、次第に中国大陸全土へと飛散し、日本と中華民国の戦争の様相を呈していった。
 
2016.01.01 15:11 | 固定リンク | 教区長法話

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